貴方を知るほど僕は正されていく

 苦節約10年、ようやく裏千家の上級(助講師)の許状を受けた。昨年8月に申請し、混雑でやっと昨日届いたとのこと。増税前の駆け込みで一番高い買い物だった。

 ところで茶道という趣味は、一般的な印象こそ悪くないが、自己紹介で挙げたとして、とにかく話が盛り上がらない。合コンだと打率10割で

「趣味とかありますか?」

「えっと、お茶を…」

「あっ、へえ〜〜〜」(話終わり)

 となる。

 道のつくものは、礼に始まり礼に終わるとか、形から入るのも煩わしく敷居が高く感じるのか、経験者がそもそも少ない。経験があったとしても「なんか茶碗回すんだよね! 畳を2歩? 3歩? で歩くとか!」くらいの会話しか生まれず、同席している周りに申し訳がないほどに面白くないくだりにしかならないので、最近は趣味を聞かれても茶道と言わないようにしている。今まで言っていてごめんなさいね。

 それに、稽古中は努めてはいるものの、普段の所作が優れていると言える自信はないので、趣味が茶道と言って「茶道やっててこのクオリティ?」のような空気を感じないこともなく、大変心苦しいのもある。

 ということで、同じ稽古場の人と親以外に、この趣味の話をすることはほぼない。そもそも、他の趣味も人に自ら話すことはしないようにしている。

 

 ところで茶道をやって学んだことはいろいろあるが、日常の行動原理に結びついているのは、人の礼儀を受けるためには、自らも受けるための礼儀を持つ、礼儀を学ぶ姿勢を持ついうこと、つまり謙虚であるべきということだと思う。

 茶道は亭主だけでなく客にも作法がある。静寂のなかで、亭主の手順や道具の微かな音で、客はこうする・こう聞くというのがおおよそ決まっている。多少の問答はあれど、言語でのコミュニケーションは最低限で、究極的には「(ほとんど)喋らなくても通じる」のだ。これは、客としての作法を学んでいないとできない。余計なコミュニケーションがなくとも、考えずに感じられるように考えられているのが茶道の作法だ。

 「俺は客だぞ」と驕らず、本質のために、施すときだけでなく、受ける側も礼儀をわきまえておく。そうすることで、相手の立場を理解する余裕が生まれる。すべて理解できるなんてことはないが、考えていることがなんとなくわかれば、よほど悪い人間じゃない限り、ものごとはなるべく円滑によい方向にと向かわせようとする。お互いそうすることで、ひとごとにならず、柔軟で謙虚になれるのでは。

 いつでもなにかをするときだけじゃない、なにかをしてもらうときの礼儀を、忘れずに過ごしていきたいと思う。

 

 わたしの先生曰く、「茶道は何年やっても初心者」なのだそう。まして10年程度のわたしなんて、入り口から中をガン見しただけでわかったような気になっているだけなのかもしれない。(助講師)なんて肩書きはついたが、教えるまでになるには気が遠くなるほどに遠い。知識も経験も先生やまわりのお弟子さんにとうてい及ばない。

 だからせめて、気持ちよくものごとを楽しむための礼儀を忘れず、学ぶ姿勢だけは放棄しないで、気長に謙虚に精進したい。