踊りつかれていても朝まで遊ぶわ

 数ヶ月前、母親に「あんたって、純粋とかじゃなくて、幼いよね」と急に言われた。

 そこそこ本気の声調だったので、なにかについて咎められたのだと思う。自覚はある。たしかに、30も目前になって子供がこんなんだったらね、親としてはそうなるよね、と。納得したが、言わなくてもいいじゃんそんなこと。

 

 その少し後には、職場の人に「◯◯さんみたいな純粋な人はさ〜」と名指しで言われた。これは嫌味なのか単なる感想なのか。他にも大勢いる会議で波風を立てる意味はないので、後者として受け止めてリアクションしたが、その人の癖を分析するに、おそらく前者だと思う。それくらいわかる。幼いという意味で言われたのだろう。

 その発言で言った本人のことを特別嫌になるとかそういったことは別にないが、もう30なのにこんなことを言われなきゃならないのか、と傷つきはする。しかしそれはわたしの感性の問題なので、ハイ傷つきました! とは当然言えないし、仕方なく笑って「恐縮です」と受け止めるしかない。

 

 こんなことがあって何故だか、昔、急に兄に「死ね」と怒鳴られたことを思い出した。

 当時わたしは大学4年生になり、早々に就活が終わったので、アルバイトに精を出してお金を貯めつつ、毎日友人と遊んだり旅行の計画を立てたり飲んだくれたりしていた。人生が一番気楽で楽しかったころだ。

 その日は自宅で母と兄とわたしで食卓を囲んでいた。なんの話をしていたのかは覚えていない。しかし当時兄のほうは相当に就職に困っていて、毎日食卓が凍りつくほど家庭内の雰囲気が悪かった。それに比してわたしは大学4年生という楽園のような日々をおくっていて、能天気にべらべらとどうでもいい話を喋っているのが気に食わなかったのだと思う。なにかの拍子に、ものすごい剣幕でたった2文字、されど2文字を吐き捨てられた。

 ショックを受け、二の句が告げず、早々に食事を切り上げて部屋に戻った。大の大人に溜め込んでいた不満をぶちまけるように「死ね」と言われると、こんな一思いに腹を刺されたような気分になるのか、なるほど、と、呑気にも思った。そして泣きはしなかったが、深く傷ついた。

 暗い雰囲気に合わせるのもおかしな話だし、気を遣っていることがわかったら却って兄もしんどいだろうと思っての判断だったが、ミスだったらしい。別に兄だって本気でわたしに死んでほしいと思ったわけではないと思うが、あまりのショックで、大変情けない話だが、いまだに兄とは正面切って話すことができない。

 

 いくら親しい・近しい間柄の人からであっても、どんな言葉が飛び出るかわからない。まして職場の人やただの知り合い程度の人ならなおさらだ。だから人からなにか言われるときは常に恐ろしいし、傷つく心の準備をしないと耐えられないこともある。もちろん、人からの言葉に救われたことも数えきれないほどある。しかしいまだに怖さの方が勝つ。ひどい言葉の威力が、うれしい言葉のそれに勝つほど悲しいことはない。

 行間や隠された意図を読みとる努力をしても言葉選びで傷つき、言葉どおり受け取っても裏側が透けて結局いやになる。どうあってもなにか言われなければならないので、いっそシンプルに、額面は額面通り受け取って、言われていないことはわからない、ということにしたい、と最近は思っている。

 人の言うことにいちいち怖がって、だから人の言葉を意味通り受け取って、明るくありがたがる。それくらいしか、じょうずな捌き方が思いつかない。発想の稚拙さ、これが幼いと言われる所以なのかもしれない。しかし自分のことは自分で守るしかないのに、それが幼いだとかなんだとか言われなければならないのであれば、なんというか、もう大丈夫なので、放っておいてくれ、という気分だ。

 

 ここまで書いて思う、人からなにか言われる≒傷つくと考えてしまういまの状態は、ちょっとおかしいかもしれない。

 休みたい。休みが足りない。ただの週休でなく、人様が働いているときに自主的に仕事をしないことを選ぶ、要するに有給休暇でないとダメだ。もうすぐ1日だけとるが、足りない。あんなに毎年余るのに、どうして半分も使わずに終わるのか、有休。

 休みをとるのが絶望的に下手くそなのを、今年中になんとかしたい。