初めての夜みたいに

 友人は片手か両手かで足りるくらいしかいない。その内の1人の友人が、先日ワーキングホリデーから帰国し、約1年ぶりに会った。

 彼女とはもともと大学の同級生で、共通の趣味をきっかけに毎日のように遊ぶようになった。考え方が似通っているところがあり、新卒での就職先も同じ業種だった。Uターン就職した彼女とは頻繁に会うことはできなかったが、趣味まわりでなにかというと連絡をとったし、彼女が東京に来たときはいつも飲みに行こうと声をかけてくれた。有休をとって彼女に会いに行ったときは、快く迎えてくれ、酔っ払いつつもさまざまな場所を案内してくれた。

 本人は自分をコミュ障というが、竹を割ったような性格で、自然に気遣いができ、美人で、計画性と決断力も兼ね備えている。なにより、話のテンポが合う。友人になるのに共有した年月の長さは関係ないのだと、わたしは彼女との付き合いの中でなんとなく学んだ。人としても心から尊敬している、数少ない貴重な友人だ。

 

 この日はもう1人仲の良い友人も交え、昼から夜のそこそこいい時間まで、積もる話を共有した。彼女の向こうでの過ごし方、人との出会い、感じたこと、これからやろうと思っていること、色々な話を聞いたが、なにより一番印象的だったのは、彼女の雰囲気が、どこか肩の力が抜けたようなものになっていたことだ。

 海外に行く前の年齢以上に大人びていた彼女は、業種特有のプレッシャーなどもあり、着る服やアクセサリー、化粧品、持ち物にも非常に気を遣っていた。非の打ち所のない、都会的な緊張のある洗練さがあった。しかし、帰ってきてみての彼女は、髪は伸びたまま、衣類は最低限、化粧も必要以上に直さない、どこか吹っ切れたような様子だった。

 雰囲気が変わったことについて尋ねると、彼女はこう言った。

 

「向こうに行ってしばらく語学学校に行って、資金がなくなっちゃったから、そのあとは毎日のようにバイトしていたんだけど、わたしのいたところではTシャツ半パンビーサンが当たり前。化粧も日本人みたいにフルメイクなんて誰もしていない。無駄毛を処理していなくてもみんなそうだし、誰もなにも言わない。髪の毛だって3日に一回くらいしか洗わない。店はだいたい22時に閉まる。クラブも金土以外は開いていない。ゆっくりしたくなったら、バスタオルと水着だけ持って海に行って、砂浜に寝転んでボーッとして、水に入りたくなったら入る。仕事中は、接客態度にいちいち文句つけたりもされない。なんていうか、流れ方が穏やかで。そうしていると、だんだん、いろんなことがどうでもよくなってきて。仕事とかいろんなものに追われていた時に比べて、特に物欲とか、そういうものがスーッとなくなっていって。服や持ち物なんてなんでもいいって。もっと自分が有意義だと思えることに、お金や時間を使おうと思えるようになったよ」

 

 一年程度のワーホリくらいで価値観変わったなんて大げさなこと言うつもりじゃないんだけど、と付け加えた。彼女は一旦日本に戻って、ビザを申請して、春ごろに再び向こうに戻って語学留学を続けるという。

 ショックだった。同じような境遇で考え方を持っていた彼女が、今までの環境を捨ててでもやりたいと思ったほうを選んだ結果、わたしがここからきっと何十年かかってもたどり着けないかもしれない結論に、一年でたどり着いてしまったから。わたしはもうかなり自分の持ち合わせる欲にほとほと嫌気がさしていて、その領域にたどり着きたいと思っているのに。

 もういい加減、わたしはいろんなことを諦めたいと思っている。好きなことを仕事にしなかったこと、たぶんこの先もできないこと、そんな歳でもなくなってきていること、好きなことだって中途半端だということ、1人で生きていく自信がないけどこのままではずっと1人でい続けなければならないこと、少なくとも向こう6年間は昇格できないこと、頑張って装いを整えたところでなんの意味もないこと。でも、諦める勇気もない。向いているのかどうかわからないがこなすのが精一杯の今の仕事、流されてこぎ着けた業務上の立ち位置、働いてさえいれば最低でももらうことができる今くらいの給料、1人で暮らすには充分すぎる家、生きていくのに不自由のない環境、それから。

 彼女の話を反芻してそんなことを考えながら、「文學界」2月号のDJ松永(creepy nuts)のエッセイを思い出した。内容は是非本文を読んでいただきたいし、わたしは彼ほどの実力も実績も才能も地位もなにもない一般人で、共感という言葉を使うのも大変烏滸がましいし論点がずれているかもしれないが、わたしも、どうしようもないんだって気づきたい、と思った。

 いつまでモラトリアムすれば、諦めて気が済むのだろうか。彼女を羨ましく思うと同時に、嫉妬しているのだと思う。自分の人生で後悔しているのに、諦めようとして放っておいたものを、目の前に晒されてほら見てみろよと言われているみたいだ。

 彼女に会えてほんとうに嬉しかった。でも、こんなどうしようもない感情をどうしよう。諦めろ、お前は1人でここにいてこのままでいるしかないんだって、誰かわたしに言ってくれ。

 

文學界 (2020年2月号)

文學界 (2020年2月号)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2020/01/07
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